津山洋学資料館

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津山の洋学初期
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洋学の足跡

 

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美作の洋学

 

 「洋学」とは江戸時代に西洋諸国の学問の総称として使われた言葉で、鎖国中も主にオランダからもたらされていた書物を通して新しい科学知識の吸収が進められていて、こうした土壌が開国・維新後の日本の急速な近代化を支えたのです。

 

 当時の津山藩は、宇田川・箕作という洋学研究の大家を藩医として登用していました。この二つの家は学術・文化・外交などの幅広い分野で多大な業績を残していますし、彼らを慕って入門した美作出身者の中には、帰郷して医者をしながら庶民教育にも携わるなど、地域に貢献した者もいます。

 

 (蘭引きとオランダカルタ)

 

 

美作を代表する洋学者たち

石井 宗謙 石井 信義 石坂 堅壮 石坂 桑亀
 宇田川 興斎  宇田川 玄真  宇田川 玄随  宇田川 榕菴
 江見 敬輔  岡崎 帰一  菊池 大麓  岸田 吟香
 岸本 東民  久原 洪哉  久原 躬弦  久原 茂良
 小林 令助  津田 真道  仁木 永祐  服部 秀民
 原村 元貞  牧 穆中  箕作 佳吉  箕作 元八
 箕作 阮甫  箕作 秋坪  箕作 省吾  箕作 麟祥
 山田 純造  横山 廉造  芳村 杏斎  

 

各門人録に記されている美作出身の洋学者たち