津山洋学資料館

>
津山の洋学初期
>
山田純造

 

→リンク

 

 
 
 
  休館日

 

 

 

山田純造 ― 種痘料を受け取らない仁心の徳ある医師 ―

 

山田純造肖像

山田純造
(やまだ・じゅんぞう)

1836(天保7)-1916(大正5)

英田郡海田村(現在の美作市海田)の医家山田俊民の長男。金川(現在の岡山市北区御津金川)の医師・難波抱節について外科を学び、ついで大坂に出て華岡流外科を習得。のち帰郷して家業を継いだ。

また種痘普及にも努め、難波立愿(難波抱節の長男)が1876(明治9)年に刊行した『種痘伝習録』には「内、外科医で種痘料を受け取らない好生(仁心の徳がある)医師として紹介されている。