津山洋学資料館

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『舎密開宗』の刊行

 

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洋学博覧漫筆

 

                  セイミかいそう
Vol.16 『舎密開宗』の刊行

 

▲『舎密開宗

  (津山洋学資料館寄託資料)

 

「日本近代科学の生みの親」といわれる宇田川榕菴は、植物学だけでなく、化学も初めて日本に紹介しています。今回は榕菴の刊行した化学書『舎密開宗』について紹介しましょう。

 養父の玄真を手伝って薬学の研究をしていた榕菴は、薬を作るためには西洋の化学の知識が必要だと気づきます。そこで、さまざまな蘭書を読みあさって知識を得ると、実験を行うようになりました。理論だけでなく、自分でも確かめる「親試実験」の精神が大切だと考えたからです。そうして22歳のときには西洋の「瀉利塩」という薬の成分を分析して、中国の「凝水石」と同じ物であることを突き止め、玄真を大喜びさせています。

 天保5年(1834)、37歳になった榕菴は玄真を手伝って薬学書『遠西医方名物考』の補巻を刊行しますが、この中では元素についても紹介されています。実はこの「元素」も榕菴の作った言葉なのです。

 その3年後の天保8年(1837)からは、日本で最初の本格的な化学書『舎密開宗』の出版を始めました。「舎密」とはラテン語系のオランダ語「セーミ」に当て字をしたもので、セーミとは英語でいうケミストリー、つまり化学のことです。

 この書は「近代化学の父」といわれるフランス人ラヴォアジェの学説を紹介した書(オランダ語版)を翻訳したもので、それに多くの化学書を参考にした解説も加えられていました。本の内容を確認するために自ら実験を重ねた器具が、早稲田大学図書館に残されています。

 今でも使われている「酸素」「窒素」「炭素」「水素」といった元素の名前や「酸化」「還元」といった化学反応を表す言葉は、このとき榕菴によって作られました。

 『舎密開宗』は内篇18巻を刊行した後、外篇3巻まで刊行されますが、榕菴が亡くなったために途中で中断してしまいます。しかし、こうした榕菴の取り組みが、日本近代化学の礎となったのです。

 

 

 

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