津山洋学資料館

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宇田川榕菴蔵張込帳

 

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洋学博覧漫筆

 

            うだがわようあんぞうはりこみちょう
Vol.21 宇田川榕菴蔵張込帳

 

宇田川榕菴蔵張込帳」の

  樺太地図[部分]

 (津山洋学資料館所蔵)

新聞や雑誌の記事をノートに貼り付けて、スクラップブックを作ったことのある人は多いでしょう。津山藩の洋学者・宇田川榕菴も、そうした張込帳を作っていて、現在、津山洋学資料館に所蔵されています。

 この「宇田川榕菴蔵張込帳」は、長さ14メートルもの和紙を折り畳んで本の形にしていて、いろいろな資料が全部で89枚も貼りつけられているのです。

 1点1点を詳しく見ていくと、手紙などの日常的なものから、オランダ語の書き付け、植物図、大砲の図まで幅広い分野にわたっています。中にはたくさんの印影を集めた珍しい資料や「鞘絵」という江戸時代に流行しただまし絵、榕菴が尊敬していた古代ギリシャの医師・ヒポクラテスの肖像画もあります。どんなことに榕菴が関心を持っていたのかが伝わってくるようで、眺めていると興味が尽きません。

 その中でも目を引くのが、2枚に分けられた大きな樺太の地図です。もともとは1枚だったものを貼り付けられないので2枚に切り分けたのでしょう。左下には文化8年(1811)4月の年記が入っていて、注目されるのは樺太と大陸の間に海峡が描かれていることです。

 かつて、樺太は長い間半島だと考えられていました。文化5年(1808)に幕府の命令を受けた間宮林蔵が調査を行い、初めて大陸との間に海峡を発見し、島であることを確認しています。林蔵はこの調査結果を「唐太嶋図」という地図にまとめ、それを基にして松前奉行同心・村上貞助の協力を得ながら、数種類の地図を作成しました。

張込帳の樺太図は、実はこの貞助の手によるものであることが研究で明らかになっています。これまでに見つかっているほかのどの地図とも違っており、林蔵の樺太探検によって作られた一連の地図に加わる1枚として、とても貴重な資料なのです。

 榕菴がいつ、どうやってこのような貴重な地図を手に入れたのかは分かりません。榕菴も養父の玄真も幕府の蕃書和解御用を務めていて、多くの洋学者と親交があったので、知人から譲り受けたとも考えられます。

 張込帳は、榕菴の好奇心とともに、貼り付けられた資料の背景から、他の洋学者たちとの交流を浮かび上がらせているのです。

 

 

 

 

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